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10月24日ツーバイフォー住宅の日記念特集|アーカイブス わが家はツーバイフォー

32年、共に歩んだ稽古場のあるわが家 狂言師(人間国宝) 野村万作


画像(自宅外観)

願いを叶えたツーバイフォー


早いもので、この家に暮らして今年で32年になる。

振り返ってみると、わが家の家づくりは少々、他とは趣を異にしていたようだ。

狂言師の家に生まれた私にとって、家は楽屋や舞台に連動する仕事場であって、くつろぎの場ではない。したがって、注文も「能、狂言の稽古場をつくれること」が第一条件だったのだ。

この願いを、ツーバイフォーという北米生まれの工法が、見事に叶えてくれた。

稽古場は伝統に則った三間四方檜づくり。本来は、音を反響させるため床下にカメを埋めるのだが、代わりに深い穴を掘り、コンクリートを流し込み、その上に檜を張ってもらった。床は水面のように輝き、軽く足で打つと重厚な音が響く。本舞台に近い、申し分のない出来映えである。

元来、遮音性や気密性が高い構造とは聞いていたが、念のため二重窓にしてもらったことで、いつでもご近所に気兼ねなく稽古に集中できる。私にとっては最高の環境である。

稽古場もさることながら、新築にあたっては「丈夫な家」であることも条件のひとつだった。以前、台風で屋根をもっていかれた経験があったからだが、この家は思った以上に構造的にしっかりしており、おかげで安心して暮らしている。
また、伝統芸能の中で育った私には、洋館に対する憧れもあり、その面でも満足のいくものとなった。


狐につかれて「こもり部屋」を増築


まるで自分で陣頭指揮をとったように書いてしまったが、実は家づくりは土地探しから引っ越しまで家内任せであった。引っ越しの際も、荷物が入り終わったころにタクシーで新居に乗り付け、ひんしゅくを買ったものである。

朝、目が覚めた瞬間から寝るまで狂言のことしか頭にない私は、住み始めてからも家の者にずいぶんと迷惑をかけた。特に大曲「釣狐」を演じる際は、公演が近づくと挙動が狐のようになり、寝言は言うは、殺気立つはで、側にいる者にとってはやっかい極まりない。

そこで、数年後にリビングルームの横に専用の「こもり部屋」を増築した。家族はこの部屋を「狐の間」と呼び、私がそこにこもるとホッとしたようだ。

家内は、柱や基礎を心配せずに増築できたこと、施工会社がメンテナンスなど後々の相談にもすぐに対応してくれることにも満足している。


住む人と共に変化してきた家


引っ越した当時、長女は高校1年生、次女は中学2年生、長男の萬斎は小学5年生で三女は小学1年生だった。前の住まいがマンションだったもので、庭に出て「土だよ、土だよ!」と興奮していた子供たちの姿が昨日のことのように思い出される。

いまは皆この家から巣立ち、家内と二人暮らしである。1階はほぼ以前のままだが、2階は事務所として使っており、弟子たちも稽古に通って来るから寂しいと思う暇はない。

家内は詩人として作品をつくり続けている。詩人だった義父の作品に「家は住む人の魂の上に建っている」という一節があるのだが、「なるほど、家は住む人の変化と共に変わる。子供たちに代わって、稽古をしている弟子たちの若々しい声が響くと、家も生き返るような気がする」と語っている。

玄関脇に植えた、万作の木と太郎冠者椿もすっかり生長し、春夏は涼しげな緑陰をつくり出してくれる。


新たに素顔で挑む大曲「釣狐」


私はといえば、相変わらず頭の中は能、狂言のことで一杯だ。

今秋(平成22年9月24・25日)、厳島神社の能楽堂で「釣狐」を面や装束をつけずに演じた。

「釣狐」は当家のお家芸で、普通、狂言師は一生に1、2度しかやらないのであるが、私は62歳まで20数回演じてきた。しかし、面や装束をつけて跳びはね、駆け回るエネルギーは私にはすでになく、実は、「釣狐」はもうできないと思っていた。

ところが、「それならば、紋付袴だけでできないか」という言葉をきっかけに、自分の中に「もう一度やってみたい」という想いが膨らんできた。「素顔のまま狐を演じるのは『釣狐』に対する冒涜だ」という気持ちが次第に変わり、紋付袴姿で演じることの意識を別の視点から考えることはできないか、と思うようになったのである。

狂言は非常にシンプルな演劇であり、特別な舞台装置はなく、役者の演技力だけで観客に場面をイメージしてもらう。

であれば、もっと観客の想像力にゆだねられるように、紋付袴姿で演じてもいいのではないか。それによって共感してもらえる部分が増えれば、観客ともっと深い交流ができるのではないか。と思い至って昨年、自分の会で角帽子程度の扮装のみで演じたところ、大きな反響を呼んだ。面はなくても、長年使ってきた面への想いが自然に表れて、私の顔は狐に見える、と信じていたが、観客にもそれが伝わったのだ。

我が意を得て、今年、再び素顔で「釣狐」を演じた。ある意味で、これこそ歳をとった役者だからできることだと思っている。


歳月が磨き上げた稽古場

画像(稽古場)


光陰矢の如し。今年で初舞台を踏んでから76年になる。

昨今の私は、芸の探求は技術から入り、最終的には人間修業に至ると考えている。今回、新しい試みにチャレンジしたように、かたくなな気持ちにならず、柔軟性を持って能や狂言の舞台を、人生を生きたいと思っている。

私には、5度目の転居で終の棲家となったわが家がある。自ら精進し、弟子たちを鍛え、萬斎を一人前の狂言師に育てあげた稽古場は、32年を経てなおビクともせず、檜が味わいを増している。

凛とした空気がみなぎるこの空間に身を置くと、自然と心が落ち着く。新たな意欲も湧く。これからも、私の人生に欠かせない場である。



写真:野村 万作(のむら まんさく)氏 野村 万作(のむら まんさく) 氏 略歴
1931年、六世野村万蔵の次男として東京に生まれる。3歳で初舞台。1950年に二代目万作を襲名。1953年早稲田大学卒業。芸術祭大賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など多数の受賞・受章歴をもつ。新しい試みに意欲的に取り組み、海外での狂言の普及にも貢献。2007年に人間国宝に認定される。



(一社)日本ツーバイフォー建築協会会報誌「ツーバイフォー」転載記事

 

 

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